鞘を水中に捨てる相手に「小次郎負けたり、勝者何ぞその鞘を捨てん」。武蔵が「生涯六十余度」とした勝負の最後「巌流島の決闘」シーン。相手は佐々木小次郎。
諸資料では岸流、岩流、巌流、眼流とまちまちであるように、その出身地についても越前、豊前、周防など、いろいろな説がある。
吉川「武蔵」は、周防岩国説をとり、秘剣ツバメ返しは錦帯橋のたもとで編み出したことになっているが、橋は小次郎歿後、数十年経ってからできたもの。出生地で最有力とされるのが越前説。今の福井県今立町の高善寺で生まれたという。
周辺には小次郎の銅像が立つ小次郎生誕地公園、ツバメ返しを編み出した一乗滝などがあり、十キロ足らずのところに師匠、富田勢源が住んだ浄教寺村がある。
しかし、巌流島決闘のころの勢源は九十歳を越す高齢。このことから「小次郎は前髪姿の美丈夫ではなかった」といわれる。
今立町と大原町は武蔵・小次郎が縁で、平成二年(一九九〇)姉妹縁組をしている。〈つづく〉