東京・お茶の水にある湯島聖堂は元江戸幕府の学問所で、「昌平坂学問所(昌平黌)」と呼ばれていました。
江戸時代の日本には全国に300余りの藩があり、藩主のもと、それぞれが小日本を形成していました。いずれも独自運営でしたが例外なく教育に力を入れ、将来の藩を担う人材の養成に努めました。そのような中、各藩主から推薦を受けた若者が送り込まれたのが、江戸の昌平黌でした。全国の優れた人材が四書五経など人物学の教育を授けられたのです。
江戸幕府は初期から朱子学を学問として採用し、「修己治人」、すなわち自らの修養に励んで徳を積み、その徳によって世を正しく治めよとの思想を為政者に義務付けました。江戸幕府が270年もの間、大禍なく安泰であったのは、各藩で藩主と家臣との間に「忠孝」に基づく一体感があったからです。各藩を今の時代に置き換えると、県であり、企業ということになります。
昌平黌の学頭であった佐藤一斎(岐阜岩村藩出身)が、日々の学問指導の合間に書き綴った『言志四録』という4冊の本があります。その1冊『言志晩録』にある一節、「少にし学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」。読んで字の如しで、若い内にしっかり学べば壮年期に活躍でき、壮年期に学んでおくと年をとっても衰えず、老いて学べば死んでもその精神、志は朽ちない、との意味ですが、この一節が今、人生百年時代を生き抜くための規範になると注目されています。
人材はタケノコのように独りでに出てきません。組織の永続的発展には、階層に応じてしっかり学ぶという体制が必要です。さらに言うと、祖国日本の衰退を食い止めるためにも、政官財学あらゆる機関で一刻も早く真の才徳兼備の育成に取り組まねばなりません。
世界の大激動期において経営の舵取りは至難ですが、そんな時代だからこそ、次世代を担う人材の発掘、育成に目を向けようではありませんか。
(一般社団法人 令和人間塾・人間学lab. 理事長 竹中栄二)