世界有数のバレエ団「ウィーン国立バレエ団」で活躍するダンサー木本全優さんが、国立歌劇場のシーズンオフに合わせて一時的に故郷姫路に帰ってきた。
同バレエ団ダンサーの最高位である第1ソリストを務めるエリート中のエリート。帰郷に合わせ、7月14日には少年時代に学んだ中田バレエシアター(姫路市山野井町)主催の凱旋公演をアクリエひめじで行い、多くの地元ファンを魅了した。休む間もなく8月頭には東京・新国立劇場でのガラ公演への出演が控えているが、スケジュールの合間を縫ってインタビューに応じてくれた。
姫路市飾磨区妻鹿で、両親ともに中学体育教師という家庭に生まれ育った。灘のけんか祭りには小学生時代から参加。獅子舞を乗せて疾走する檀尻の綱を曳いていた時に足が絡んで転倒し、危うく轢かれそうになったことがある。間一髪で大人に抱きかかえられて九死に一生を得た思い出を笑い飛ばす。
バレエを始めたのは3歳。二つ年上の姉が習う中田バレエシアターにいつの間にか入っていた。
惰性で習っていた小学6年時、出場した神戸のコンクールで同年代の男の子たちが派手な大技を繰り出すのを目の当たりにし、向上心に火が点いた。シアターの先輩たちが次々と海外修行に旅立っていくのに触発され、自身もプロを意識するようになった。「高校を卒業してからでは遅い」と覚悟を決め、2003年、中学卒業後に仏カンヌの由緒あるバレエ学校に入学した。
翌年パリ国立音楽院に編入し、在学中に出場したローザンヌ国際バレエコンクールでは決勝進出を果たした。同院卒業後はドイツ・ドレスデン国立歌劇場バレエ団で2年間経験を積み、08年にウィーンへ移籍。怪我に悩まされながらも、デミソリスト、ソリストと着実にステップアップし、ついに17年、狭き門をくぐり抜けて第1ソリストに昇格した。
最高峰の舞台で日本人が主役を演じるということに、「他のバレエ団でも日本人がたくさん活躍されているので、特別な思いは特にないですね」と言い切れる強心臓。一方で、「我以外皆我師(われいがい、みなわがし)」という言葉を大事にする謙虚さも併せ持つ。コロナ禍を経て世界中で文化活動に経費削減の波が押し寄せているが、「芸術や文化にはAIに負けない人の心を動かす力を持っているから大丈夫」と信じる道をひたすら突き進む。
アクリエの舞台は今回が初めて。「姫路に素晴らしいホールができたのも嬉しいし、そこで踊れたことも本当に良かった」と振り返る。だが、トップダンサーとしてアクリエに立つのは最初で最後かも知れない。実は長年の酷使で満身創痍。好きなバレエを極めたい一心で駆けてきたダンサー人生に「段々とゴールが見えてきている」とポツリ。
しかしながら、「どこかのタイミングで潔く辞める」と言って明かした次のステージはバレエ教師。「ヨーロッパで資格を取り、世界のバレエ団で活躍できるようなプロのダンサーを育てたい」と新たな目標にチャレンジする考えだ。その時は日本からの留学も大歓迎。「それまでは少しでもみんなのお手本だったり、目標になれるよう頑張る。みんなも一日一日を大切に、切磋琢磨して頑張っていってほしい」と、地元のちびっこダンサーたちに激励のメッセージを送ってくれた。