収集を始めて4年程が経った時には作品が30点を数えるまでに増えていた。他人に見せると目垢がつくように感じたものだから、飾る場所は当然のことながら自宅で、鑑賞するのは私と妻、それに時々やって来る美術仲間程度だった。だが、この頃になるとコレクションに確固たる自信がつき、徐々に「広く公開すべきではないか」という気持ちが芽生え始めた。

そんな時、住友銀行頭取(当時)で文化人としても高名だった伊部恭之助氏がお忍びで「見せてほしい」と自宅まで来られた。伊部氏からも「秘蔵するのは惜しい」と諭された。公的機関への寄贈か私設美術館設立か、構想は一気に膨らんでいった。

ところが、私自身が思わぬ難癖でつまづく事になった。78(昭和53)年、診療報酬の不正請求とやらで保険医指定を取り消されたのだ。公開どころではなくなった。

この横暴に対して私は一貫して潔白を主張、裁判まで起こした結果、嫌疑が晴れはしたものの、闘争中は病院が一時閉鎖された時期もあった。精神的に追い詰められた私を支えてくれたものが、何を隠そう、モネの「日の入」だった。自分の子供に満足に食事も与えられない、赤貧洗うが如くの生活の中にあっても創作活動を続けた執念の名画だ。この事件を通じて私自身、心の糧としての美術の本質を理解することができたと考えている。

ちょうど混乱が治まった頃、姫路美術館の整備構想が固まった。ところが、肝心の展示作品の収集が進まない姫路市は、当時の吉田豊信市長自らが乗り出して私に売却話を持ちかけてきた。だが、私は「そのつもりはない」と断った。事件の印象が消えないうちに手放せば、「汚れたカネで買った絵を売り抜いた」などといわれのない誹りを受けかねない。さらに、そのことが作品そのものの価値を歪めることになりそうで、とてもじゃないが我慢できなかったからだ。

ただ、その後も、家族から「不毛の地」と言われた姫路の文化度をいささかでも高めたいという気持ちだけは消えることがなかった。もはや、姫路は私のふるさとになっていた。

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