医療・福祉業界向けサービスを第2の柱に
「憧れやトレンドを感じてもらえるような好感度の高いユニフォームは企業のリクルート(人材採用)戦略だけでなく、社会的なイメージアップを図る上でも大きなツールになる」と力説するのは、姫路市にある制服製造販売「カマタニ」の鎌谷正弘社長(67)。大手がひしめく業界にあって、地元発祥のアドバンテージを活かして企業向けユニフォームで市内5割のシェアを獲得する老舗。まだまだ不透明な社会情勢が続きそうだが、「医療・福祉業界向けサービスを第2の柱に成長させていきたい」と今後の事業拡大に意欲を見せる。
ユニフォーム製造のカマタニ
──1919(大正8)年に創業して102年目。事業のあゆみは?
祖父が小売商として衣料品や雑貨などを扱ったのが始まり。第一次世界大戦の戦争景気で波に乗りかけたが、活況は長く続かず、太平洋戦争時の統制経済で苦境に立たされた。そこで目を付けたのが陸軍将校の制服だった。将校服はそれまで町のテーラーですべてオーダーメイドされていたのだが、姫路の部隊が増強されると間に合わなくなった。ミシンやアイロンをかき集めて将校服の既製品化を認めてもらい、陸軍偕行社指定工場の地位を確立した。これが制服事業の原点となった。
敗戦後は売り物が何もなくなってしまったが『絶対に闇の商売はしない』との信念で、今度は大企業や病院を回り、配給の布生地でシャツやスカートを仕立てる加工仕事を始めた。病院では三角巾を縫い合わせて作ったスカートでも大変喜んでもらえたそうだ。経済が落ち着いてくると、国鉄や郵政省、日本電信電話公社といった官公庁の制服業者に指定されて地力を付けていった。
──企業のユニフォームは一昔前まで作業服というイメージが強かったが、今では随分とスマートになった感がある。
最初は当社もユニフォームを取り入れる企業も、従業員の服装を作業がしやすく汚れも目立ちにくいものにしよう、ついでにデザインも揃えようという単純な発想からのスタートだった。だから、戦後の高度成長期には歴代社長も「とにかく煙突が見える方向へ走れ」と営業担当者に発破をかけるような案配。それが時代の移り変わりとともに「我々の仕事はユニフォームを通じて企業のイメージアップをお手伝いすることだ」と意識が変革していった。
今は企業の前向きなスタンスを表現するための未来志向の営業展開を心がけるようになった。実際、紺やグレーが中心だった現場の作業服は段々と淡い色がトレンドに変わってきている。
──近年の業容は? 特に今はコロナ禍の就業制限などで需要が減退していないか?
リーマンショックの2008年に売上が35億円まで落ち込んだが、営業の頑張りで回復した。20年12月期の売上は43億円。さすがにコロナの影響で大きく落ち込むだろうと覚悟していたが、19年比3億円の増収だった。多くの製造業で業績が底入れしたことが大きかった。
高機能で新型コロナウイルスにも効果がある抗ウイルス加工フルテクトのマスクも引き合いが多かった。ただし、イベント用のレンタルユニフォームはほとんど注文がなくなった。セグメント比率は一般企業4割、官公庁3割、医療・福祉関連2割弱、学校関連1割弱となっている。
カマタニの本社工場
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