播磨臨海地域道路の早期建設について石見利勝姫路市長とともに谷垣禎一国土交通大臣に要望(2008年)
国栄機械には26歳で⼊社したんだけれど、やっぱり、姫路で働く上で、姫路に⽣まれて姫路で育ったというのは⼀つのアドバンテージやね。⼟着⺠ということで、知った⼈が多く、やりやすかった。親⽗の知り合いとも若い時からゴルフや会合でしょっちゅう⼀緒だったからね。
当時、姫路商⼯会議所会頭だった齋⽊睦彦さんとも、まだ20代の頃から付き合いがあってね。あの⽅もお⽗さんが⼭陽⾊素を起こして、それを引き継がれていました。
私が商⼯会議所の議員になったその⽇のこと。齋⽊さんが「⽤事があるから⾏ってもええか」と⾔われてね。「⽤事あるんやったら、私が⾏きますよ」と返事したらね、「いや、頼みがあるから⾏くわ」と。何かと思えば、いきなり「副会頭になれ」って⾔われたからね。「なんぼ何でもそれはあきませんわ」ってお断りしたら、「今回は諦めるけれども」って勘弁してもらって。その後、姫路⼤同⻘果の⽊⾕実さんが副会頭に就かれて、「あんたが断るから儂がならされたわ」って⾔われたりして。そんなことで、いずれ社⻑を退いた時に頼まれるようなことがあったら、その時は地元への恩返しの意味も込めて受けないとなという事は覚悟してましたね。
今、会頭されている齋⽊俊治郎さんね、私が副会頭になる前から副会頭だから⻑いんやね。私が「次は君が会頭や」って⾔ったら、「尾上さんに⾔われたらしゃあないな」という感じやったね。姫路経営者協会の⽵⽥佑⼀会⻑も、私に⾔われたらしゃあないかと引き受けてくれた。お⽗さんの時代から付き合いあるからね。2人とも元気でバリバリ頑張ってくれている。
地元への恩返しに関しては、グローリー⼩学⽣育成財団というのがありましてね。株式会社化して50周年の1995年に、社会貢献するには何がいいだろうということで考えて設⽴したんです。夏休みの科学体験教室や剣道⼤会、こども劇場など多彩に展開しているんだけれども、景気に左右されないようにと、会長を退いた後に私が持っていたグローリーの株の一部を寄付してね。初代理事⻑もしてたからね、思いはありますわな。その配当で運営が楽になりました。こども劇場はミュージカルでね、⼤層⼈気です。科学体験教室も⼩寺信博という社員がいて、ステージパフォーマンスやら、ようやってくれてね。⼈は⾊々と取柄があるんやなぁ。彼は今、姫路観光コンベンションビューローの事務局におります。 (つづく)
グローリー小学生育成財団の「こども劇場」
尾上壽男(おのえ・ひさお)昭和10年姫路市生まれ。34年中央大理工学部卒、36年に国栄機械製作所(現・グローリー)入社。平成元年に社長、13年に会長に就き、26年から同社名誉会長。姫路商工会議所会頭、姫路市教育委員、兵庫県公安委員、姫路観光コンベンションビューロー理事長などを歴任。17年、旭日中綬章受章。
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