「誠実な商売を続けていれば道は開ける」 喜ばれる菓子づくりで苦境の打開を図る姫路の和菓子会社
新型コロナ感染の波で止まっていた人流がようやく動き始めた。3年ぶりに行動制限のなかったゴールデンウイークは、姫路市内でも観光施設や宿泊施設が賑わいを見せた。それでも土産物などの売れ行きはまだまだ低調だと和菓子製造販売「白鷺陣屋」の井上賢社長。姫路菓子組合理事長の立場からも地元観光産業と業界の進むべき道を思索する。
5月の連休でようやく人が動き出した。観光客の購買動向は。
当社はお城の売店にも商品を入れているが、売上はコロナ前と比べてまだ3割程度。随分前に聞いた話では、姫路に来る観光客の交通手段は大雑把に言ってJRが5割、自家用車か貸切バスが5割だと。今回の連休の様子を見ると、自家用車での来姫は多かったのだが、団体バスは皆無という状態。つまり、土産物にお金を使ってくれるシニア層の来姫が少なかった。コロナが収束するまで仕方ない。
業界全体はコロナでどのような影響を受けている。
当社のように土産物や進物が主体の菓子屋は厳しい。一方で、柏餅とか桜餅のように朝作ったものをその日のうちに食べる「朝生」と呼ぶジャンルの商品を主体にやっている菓子屋は、巣ごもりでかえって売上を伸ばしたところもある。
この逆境をどう乗り越える。
何をおいても、カギはやっぱり人材。とにかく地道にコツコツといろんなことにトライさせて人を育てていく必要があると思う。ただそこで忘れてはいけないのが、良い商品を作るという原点を守ること。一生懸命に努力しながら誠実な商売を続けていれば、自ずと道が拓けると信じている。 実はそろそろ世代交代しようと考えていた矢先にコロナが蔓延した。もうしばらく頑張らないといけないのだが、商工会議所の議員総会に出ると、周りがほとんど若返っているので、最近気恥ずかしい。
姫路菓子組合の理事長職も長い。一番の思い出はやはり菓子博。
姫路菓子博2008の準備段階で理事長に任じられたので、かれこれ17年。菓子博の実行委員会は兵庫県と姫路市の職員が中心の巨大な組織だったので、互いの垣根を取り払うのに苦心した。元来私は気が短い方なのだが、侃々諤々の議論の仲裁ばかりしていたように思う。それでも当時の井戸知事の号令一下、皆さんが前向きに取り組んでくれたおかげで大成功を収めることができた。24日間で92万人が来場。姫路行きの新快速に三宮駅で乗ろうとしても、すでに大阪駅で満員になって乗れないほどだと聞いて驚いた。
あの経験が組合活動にも活きているようだ。
それまでは親睦団体レベルの組織だったのが、一気に活発になった。今では春のぐるめらんどや観桜会、秋の観月会や菓子まつりが定着し、ほかにもコンベンションビューローと共同のおもてなし事業や、特別支援学校での年末餅つきなど、いろんな事業を団結してできるようになった。
姫路城の家老屋敷跡公園内にある「姫路の宝蔵」も運営する。
これは公益財団法人姫路・西はりま地場産業センターに姫路酒造組合と姫路菓子組合の有志が協力する形で12年から運営してきたのだが、地場産センターが手を離すことになったので、一旦清算して20年春に菓子組合と酒造組合とで株式会社化し、再スタートした。社長は私。利益が出たら均等に分配、赤字になっても均等に負担という約束で走り出そうとしたら、いきなりコロナ。用意ドンの掛け声と同時に足を滑らせてひっくり返ったようなもの。
組合も世代交代が進んできている。
組合では皆が抱えている共通課題に関する講習会も随時行っているので、互いに切磋琢磨してほしい。理事長は今期限りで後進と交代する。
姫路観光コンベンションビューローの理事も務める。姫路の観光施策に対して思うところは。
姫路は兵庫県内で神戸よりもイベントが多い割に腰が据わっておらず、恒例なのに毎年ゼロから準備しているようなイベントが多いように思えてならない。例えば大手前公園にテントを張るにしても、小型テントを並べ立てるのはみすぼらしい。中型・大型テントを使うことでイベントのグレードが上がるということを分かってほしい。 また、移転する動物園の跡地に昔の街並みを作ってほしいという思いがずっとある。まちづくりの勉強会であちこちに視察に行き、一番感心したのが北九州市の門司港。歴史的建造物を活かしたレトロな街並みで有名だが、百貨店が撤退して「このままでは商店街が死んでしまう」と地元商業者が必死になって知恵を絞ったからこそ、行政も腰を上げる気になったらしい。観光客に「いい街だな」と思ってもらえるかどうかは商業者の情熱にかかっているんだと勉強させられたし、姫路の街づくりもこのように進んでいってほしい。
株式会社白鷺陣屋 姫路市若菜町2-18 Tel.079-222-1883 https://www.hakurojinya.com/