第9回 武蔵を巡る群像② 本多忠刻と千姫

宮本武蔵 播磨の剣聖

千姫は徳川二代将軍秀忠の長女で、祖父家康の婚姻政策によって七歳にして大坂城の豊臣秀頼に嫁いだが、元和元年(一六一五)、城が焼け落ちた際に脱出。江戸へ下向する途中、伊勢桑名の渡しで、桑名藩主の嫡男忠刻を見初めて再嫁する。本多の移封に伴って姫路入りした。二十一歳だった。しかし、夫婦の幸せは長く続かず、寛永三年(一六二六)、忠刻は若くして他界、千姫も江戸へ去る。
巌流島決闘で剣名を揚げた武蔵は本多家に迎えられ、元和四年ごろから六、七年姫路に住んだと考えられる。実際には小笠原家の客分として明石城下に住むことが多かっただろうが、養子三木之助とともに、姫路城主父子に剣の道を指南したのではないか。
今、千姫の化粧料十万石で築かれた姫路城西の丸は、築城当時の姿をとどめている。〈つづく〉

関連記事

おすすめ記事

ランキング

  1. 1

    【姫路市】令和5年 姫路市長選挙 開票速報(23時10分現在)開票率15.62%

  2. 2

    【姫路市】門前商店街「三十軒長屋」も魅力満載、平成中村座の姫路城公演

  3. 3

    【2024年】播磨の花火大会&夏まつり特集前編

新着記事

  1. 播磨時報2024年8月21日

  2. 【姫路市】江戸時代の三の丸大路や向屋敷庭園を再現─雅な夜を楽しむ「Himeji Castle History 鏡花水月」 22日開幕

  3. 【加西市】気球に乗ってサンタがやってくる! 気球の飛ぶまち・加西でクリスマスイベント

TOP